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コラム
中国の特許手続において補充する実験データとその対応策

2018/10/16 14:15:40


 キーワード:特許 補充 実験データ 技術的効果 進歩性

 要旨:出願日の後で補充された実験データは、どのように考慮されるのであろうか? 発明の技術的効果は、明細書でどの程度まで開示していれば、当業者が特許出願に開示されている内容から得ることができるのであろうか? 本稿は、『特許審査指南』改正前後の2つの事例を検討することで、この問題についての考え方と見解を提起するものである。

 

 本文

 特許出願の審査中に補充された実験データをどのように考慮するかについては、『特許審査指南』でもこれまで何度か改正がされており、2017年4月1日から施行されている『特許審査指南』[1][2]でも、第2部第10章第3節「化学発明の十分な開示」の「実施例について」の第2号が、新設された第3.5節「補充された実験データについて」に編入されて次の通り規定されている。

 「明細書が十分に開示されているか否かを判断するにあたっては、当初の明細書及び特許請求の範囲に記載にされた内容に準じる。

 出願日の後に補充された実験データについて、審査官は、審査をしなければならない。補充された実験データにより証明される技術的効果は、属する技術分野の技術者が特許出願に開示されている内容から得ることのできるものでなければならない。」

 しかしながら、具体的な実務において、「補充された実験データにより証明される技術的効果は、属する技術分野の技術者が特許出願に開示されている内容から得ることのできるものでなければならない」は、どのように解釈されるのであろうか? 本稿では、『特許審査指南』改正前後の2つの事例を検討することで、この問題についての考え方と見解を提起する。

 

 事例1

 出願番号200580023071.2についての特許出願拒絶査定不服審判事件[3]は、オン化合物の製造方法について保護を求めていたものである。その最も近い先行技術と相違する点は、製造方法において使用する複合触媒に銅化合物がさらに含まれる点で、その技術的効果は、良好な収率で、純度よく前記オン化合物が製造されるというものであった。

 本件明細書の実施例1及び2で使用されていたものは、銅化合物を含む複合触媒である一方、実施例3で使用されていたものは、銅化合物を含まない複合触媒(先行技術の技術的解決手段に相当)であった。本件明細書に記載されていた実験結果から計算したところ、実施例1及び2の収率はいずれも実施例3より低いものだったので、当該明細書に開示されていた実験データ及び実験結果によっては、保護を求める技術的解決手段が進歩性を具備することを証明するには不十分であった。このため、出願人は、審査中に実験データを補充して、保護を求める技術的解決手段が先行技術と対比して反応速度が速く、副生物が少ないことを証明したが、反応速度が速く、副生物が少ないという技術的効果は、本件明細書には記載されていなかった。

 そこで、本件では、出願人の補充した実験データを進歩性評価の根拠とすることの可否が争点となった。

 2016年9月27日、最高人民法院が本件について交付した最高人民法院(2016)最高法行申第1878号行政決定書[4]で、これについて次の通り明確な結論が与えられている。「特許出願人が比較実験データを提出することで、保護を求めるその技術的解決手段が先行技術と対比して進歩性を具備することを証明しようとする場合、特許法の先願主義と公開代償原則に基づき、当該データは、当初の出願書類に明確に記載されていた技術的効果についてのものでなければならないことが、その受け入れられるための前提とされる」。

 つまり、審査中に補充する実験データで証明しようとする技術的効果が当初の出願書類に明確に記載されていなければ、その補充する実験データを進歩性評価の根拠とすることは認められないということであるが、この結論は、2017年の拒絶査定不服審判?無効10大事件の一つとなった特許番号ZL97180299.8について下された第21646号無効審決[5]における審決の要旨でも次の通り明らかにされている。「特許権者が実験証拠を補充して主張する特許の技術的効果がどのようなもの(又はどのような程度)であれば受け入れられるかについては、原則として、第1に、証明しようとする技術的効果がその実験証拠によって証明可能であるか否か、第2に、その技術的効果が当初の出願書類に開示されている内容に基づいて当業者により確認可能であるか否か、という2つの要素によって決せられる。それ故、(補充する)実験証拠によって証明される技術的効果が当初の出願書類に記載されていないものであれば、進歩性の判断において考慮されるべきではない」。

 事例1の明細書には、保護を求める技術的解決手段の技術的効果は、良好な収率で、純度よく前記オン化合物が製造されることであるとしか開示されていない。良好な収率で、純度がよいことは、反応速度が速く、副生物が少ないこととは異なり、また、良好な収率で、純度がよいという技術的効果から、反応速度が速く、副生物が少ないという技術的効果を導き出すこともできない。このため、反応速度が速く、副生物が少ないという技術的効果は、当業者が特許出願に開示されている内容から得ることのできるものでないので、その技術的効果について補充された実験データも、本件の進歩性評価の根拠として認められなかった。

 

 事例2

 特許番号ZL201110029600.7についての特許無効審判事件[6]において、本件特許は、バルサルタンおよびNEP阻害剤を含む医薬組成物について保護を求めるものであった。本件明細書の[0041]~[0043]、[0063]段落には「ルサルタンとNEP阻害剤の組合せでバルサルタン、ACE阻害剤、またはNEP阻害剤のみの投与により得られる治療作用より高い治療作用が得られ……ることは、驚くべく発見であった」、「得られる結果は、本発明の組合せが予測外の治療効果を有することを示す」という技術的効果が開示されていたが、本件明細書には、これらの技術的効果の検証された実験データが一切記載されていなかった。

本件は、特許審判委員会で「重大事件の公開審理」がされた5例目となったが、出願日の後に補充された実験データと医薬品の相乗作用とがその争点の一つとされた[7]。

 特許審判委員会は、2018年1月3日、本件について第34432号無効審判審決[8]を下し、審決の要点として次の通り説示している。「出願日の後に補充された実験データは、当初の特許出願書類に記載され、開示されていた内容というにはあたらず、これらの実験データは、本件特許の先行技術の内容でもないので、先願主義と特許制度の公開代償という本質からして、当該データが受け入れられるには、それによって証明される技術的効果が当初の明細書から得ることのできるものでなければならないことが前提とされる」。

第34432号無効審判審決において、合議体は、本件明細書に記載されていた技術的効果が実験の結論にあたり、本件明細書には具体的な実験データ及び実験結果が開示されていないと認定している。実験データ及び実験結果は、医薬品の効果を証明するのに決定的な役割を果たすものであり、実験の結論は、実験データの統計分析結果を基礎として下されるものであるので、当業者が相乗効果を予期不能であるという前提では、実験データ及び実験結果を基礎としない実験の結論は、当業者をして医薬品の相乗作用効果を確認させることのできないものである。

 つまり、発明の技術的効果が明細書に記載されていたとしても、実験データによってその技術的効果が検証されておらず、当該発明がその言明されている技術的効果を奏することを当業者が特許出願の明細書に開示されている内容に基づいて確認することができないのであれば、かかる場合には、その技術的効果を証明するために補充される実験データは、受け入れられないものとなる。

 事例2の明細書では、保護を求める技術的解決手段が相乗作用という技術的効果を有することが明示されていたが、その技術的効果の検証された実験データが一切なかった。このように必ず実験データによって検証されなければ確認することのできない技術的効果については、検証した実験データが何も提供されていなかったら、当業者が特許出願に開示されている内容から得ることのできる技術的効果に該当しないことになるので、その技術的効果について補充された実験データも、本件の進歩性判断の根拠として認められなかった。

 

 対応策

 中国の特許審査実務では、出願日の後に補充する実験データ又は実験証拠によって特許出願に既に開示されている技術的効果を検証又は補充することはできるが、その事実的基礎までは変えられない[4]。

 であれば、明細書に発明の技術的効果が既に記載されている場合、その技術的効果は、どの程度まで開示されていれば、『特許審査指南』の「補充された実験データにより証明される技術的効果は、属する技術分野の技術者が特許出願に開示されている内容から得ることのできるものでなければならない」という規定に適合するのであろうか?

 以下、具体例によってこの問題についての考え方と見解を説明することとしたい。以下の具体例では、上述の事例2を基として説明しやすくするため、事例2中のバルサルタンおよびNEP阻害剤をそれぞれ医薬品AおよびBと簡略化する。

 事例2の出願書類が作成された際に、医薬品AとBを組み合わせたときとAまたはBのみを投与したときとの治療作用データが記載され、AとBの組合せが相乗的な治療作用を有することが検証されていた。

 そして、AとBの組合せに類似するA’とB’の組合せも相乗的な治療作用を有することが開示されていて、AとBを組み合わせた技術的解決手段の進歩性に影響する先行技術文献が当該出願の審査中に発見されたとする。

 このとき、補充する実験データを、当該出願に開示されている実験方法によって得られるA’とB’の組合せの治療作用データとして、この補充するA’とB’の組合せの治療作用データと当該出願に開示されているAとBの組合せの治療作用データとを比較することで、AとBの組合せがより優れた予期し得ない相乗的治療作用を有することを証明するのであれば、このようにして補充する実験証拠は、先行技術であるA’とB’の組合せだけを検証するものであって、当該出願の事実的基礎自体まで変えるものでないので、当該出願が先行技術文献と対比して具備する進歩性を評価するときに受け入れられるものとなる。

 しかしながら、A’とB’の組合せの治療作用がAとBの組合せの治療作用に相当する場合において、補充する実験証拠を、AとBの組合せのうち1つの具体的なA1とB1の組合せによる治療作用データとして、これをA’とB’の組合せの治療作用データと比較することで、A1とB1の組合せがより優れた予期し得ない相乗的治療作用を有することを証明するのであれば、当初の出願書類には、この具体的なA1とB1の組合せが特に優れた相乗的治療作用を有することが開示されておらず、当業者にもこの具体的なA1とB1の組合せが特に優れた相乗的治療作用を有するとは予見不能であるので、このようにして補充する実験データは、当該出願の事実的基礎を変えるものとして、受け入れられないものとなる。

 以上の通り、2017年4月1日から施行されている『特許審査指南』には、「出願日の後に補充された実験データについて、審査官は、審査をしなければならない」と規定されているが、補充される実験データが受け入れられる条件は、厳しく制限されており、「補充された実験データにより証明される技術的効果は、属する技術分野の技術者が特許出願に開示されている内容から得ることのできるものでなければならない」。上述の2つの事例から看取されることとして、当業者が特許出願に開示されている内容から得ることのできる技術的効果というには、次の要件を充足しなければならない。

 1.当初の明細書に明確に記載されていて、かつ、

 2.保護を求める技術的解決手段がその言明されている技術的効果を奏することを当業者が先行技術の記載又は特許出願に開示されている内容に基づいて確認することができることである。


引用文献

[1]中華人民共和国国家知識産権局『専利審査指南(2010版)』(知識産権出版社)

[2]「新修改的『専利審査指南』将于4月1日起施行」(2017年3月6日公表)

  http://www.sipo.gov.cn/zscqgz/1101305.htm

[3]発明専利申請公布説明書CN1984890A「製備1,2‐二氢吡啶‐2‐酮化合物的方法」(特許出願人:エーザイ?アール?アンド?ディー?マネジメント株式会社)(公開日:2007年6月20日)

[4]最高人民法院(2016)最高法行申第1878号行政裁定書

[5]復審無効十大案件「5.「取代的2‐(2,6‐二氧哌啶‐3‐基)‐隣苯二甲酰亜胺和‐1‐氧異二氢吲哚及降低腫瘤壊死因子α的方法」発明専利権無効宣告請求案」(2017年9月27日公表)

 http://www.sipo-reexam.gov.cn/alzx/fswxsdaj/21162.htm

[6]発明専利CN102091330B「含有纈沙坦和 NEP 抑制剤的薬物組合物」(特許権者:ノバルティス?アクチエンゲゼルシャフト)(権利付与公告日:2015年4月8日)

[7]重大案件公開審理「含有纈沙坦和 NEP 抑制剤的薬物組合物」(2017年9月15日公表)

   http://www.sipo-reexam.gov.cn/alzx/zdajgksl/21180.htm

[8]専利復審委員会第34432号無効宣告決定(2018年1月3日公表)

   http://app.sipo-eexam.gov.cn/reexam_out1110/wuxiao/wuxiaolb.jsp